しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

「ひとすじの光」を頼りにどこまで行けるだろう

ブログはこころのバロメーター、という感じである。最近、いっぱいいっぱいな気持ちで
うまくブログが書けなかった。前エントリはその傾向が大いにある。吐き出したい気持ち。
どちらかというとデトックスというか。日本語にすると、、なんで横文字。
それが片付いたかもわからないが、なんだか書けそうな気分なので書くことにする。


とはいえ、久しぶりに書くとどんなふうに書いて良いかわからない感覚があるのも事実。
もともとSDM日記にしようと思っていたのにあまりかけていないのは申し訳ない。
いや、自分の好きにしていい場だからその感覚は間違いかもしれないけれど。
と、いうわけでではないけれど、SDMへの思いも含めて少し書いてみようと思った。



前にも書いたが、正規生ではないけれど、日吉にある
慶應SDM(システムデザイン・マネジメント)研究科に通っている。
週に2日、たった4単位。でも、気が重いことも実はある。
土曜日アサイチだから、っていうのもあるけれど(+_+)それはご愛嬌。
このおかげで朝弱い俺が起きれているので、実は感謝している点でもある。

土曜日の朝は爽やかだ。多摩川を渡るあたりの朝日の差し込みは
なんだか(間違った)優越感すら感じる。…後期はたぶんやらないが。。(寒いの弱いとかある)

考えて見るに、やっと納得いったのは、新しい、学びへの恐怖心だと思う。


ちょっとまんま画像はるのがはばかられるので、N師匠(仮)*1
ブログへのリンクさせていただくけれど、この図のストレッチゾーンを超えて、
パニック入りかけになることもあるのかなという思いがある。
NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 快適空間、背伸び空間、混乱空間・・・あなたが今立っているのはどの空間?:学びとリスクの微妙な関係


居心地のいい、得意と思える空間から、新しい、相対的に「弱い」立場になることに
恐怖心とか、戸惑いがあるのだろうと思えた。ド文系で左脳ヨワヨワと思っている自分が、
教師も生徒もエンジニアたちが多い(文系もどちらもいるけど事実エンジニア中心だと思う)
場に出向いて、システムズエンジニアリングで考える、というのは壁を感じている
ということなんだろうと思う。


別にこの段階で数学とか使うわけではないし、ピンとは来ていないけれど、Vモデルの考えとか、
システム思考をむしろ好きになれそうには思う。
関係性を考えるということに面白さを感じているからマッチングしている面もあると思うんだ。
丁寧に伝えられないのが欠点で論理的でないレッテルを貼られることがあるけれど(自己責任)
考えていることは、それなりにロジカルというか、段階的にもれなく考えたいタイプであるとも思う。
思っていることとか、伝えることに自信がなくて焦ったりするのが、スポイルしている自己評価だが。


脇道それた。ものをつくるとか、人でなくモノにフォーカスして、
原理的に深く考えることに構えがある人に、憧れと苦手意識があるのかもしれない。
はてな時代にエンジニアに抱いていた思いもそうだった。

まだこの段階では、当然のようにSDM文化に組織社会化されていないということなんだろう。
自分の立ち位置は客観的に見ても微妙な立場だし。

と、いうことと、まだせいぜいが3ヶ月もたってない段階なんで、失敗しながら、学んで
長い目で自分なりに活かす道を見つけられたらと思う。幸いこれから、Vモデルを使って
組織とか社会システムをデザインする行為を演習出来るようなので、夏にはまた違った
感想になっていることでしょう。

プロセス渦中での報告はいったんおしまい。



新しい学びには、不安がともなう。もちろん、ワクワクもあると思う。
だけど、反転して不安が勝る危うさも、ある。ストレッチの幅を見誤って、
パニックゾーンに入っちゃうこともあるんだと思えている。


あまりまだ答えは見つかっていないのだけど、いま敢えて大金を投じて学ぶことで、
何が掴みたいのか、ということを、苦しくても見つける必要があるんだろうと思っている。


なにかある、と思えたから決断した。もう少し、ストレートな分野を選ぶほうが合理的だし、
実直ではあると思う。
(例えば今担当しているキャリアとか人材育成とか広告時代の関連でマーケティングとか)

でも、そこに今から敢えて学ぶのに何かがあるとは思えなかった。
実際に、科目履修生で試してみて、なんだか違うなという実感を掴んでいた。*2



最近、ひとすじの光、のようなものを感じた。
それは、やっぱりいまの仕事は、大筋で自分の太い動機と繋がっているということだった。


人の変化に関わること。
変わることを、ひと押ししてあげること。


どうやらそれが仕事になると、facilitatorというものになるらしい。
そして、成人以後は、変わることが出来る、ということが、生きることにおいて、おおいに
大切なことだと、学びの見地でも思われているらしい。

そこに気づいたら、周辺領域のこと、組織開発とかワークショップとかプロセスデザインとか
コーチングやら、キャリアアドバイザーやら、なんやらが繋がってきた。


そうすると、関係性を科学し(システムを観て)、構築し(デザインし)、
うまくやろうとする(マネジメント)ってことは、有りなんだなあと、思えた。

なあんだ、研究したい大きなテーマって、意外とリンクしてありそうじゃん、って感覚が持てた。
おそらく扉があるだろうなあという不安から、たぶんこのへんにあるなあ、という安堵感が芽生えた。

今の意味づけでは、こんな感じ。見失いそうだから、ブログに留めた。
*3


あらためて、山本高史師匠の「変われるって、ドキドキ。」がじぶんのなかで、
大きなメッセージなのかもしれないなあと思う。
*4

ひとすじの光、このあたりが、手がかりになるのかなあ、などと
そう思っていたら、翌日、営業のあいまに(!?)靖国神社
お参りに行ったときにひいたおみくじに、近しいことが書いてあった。


じいちゃんの代わりに戦没者供養したようなものだったのだが。
やはりじいちゃんに導かれているのかもしれない。

先日、四十九日法要を終えて一区切り、というところで、なんだか
導きを受けているのかも、と思えているこの頃である。じいちゃん校長先生だったしね。
http://instagram.com/p/Z8LhYALRDT/

*1:担当させてもらっている先生のことをなんて呼べばいいかわからん…

*2:宮台センセは別

*3:その先には、宮台ワードでいう包摂もきっと繋がって位置づけられそうだ。ひとつの達成目標だな

*4:どうでもいいけど、タカシさんと大阪で10時間、飲み屋はしご10数件したいい思い出を思い出した。深夜3時の言葉はいまでも覚えている。答えはまだ見つかってないが。