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しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

ウンウンひとりで考えてもしゃあない

academic ナラティヴ

こともあると思えた。先人の思考をトレースしていくことで、見つけられる発想もある。つまりは、ひとりの世界の思い込みだけでは妥当性が見つからなかったりする。妥当性というべきか、必然性というべきか。

例えば、しごとがら、成人君子の学びを考えることが日常的なオシゴトだ。いつまでもつきまとう問題に、自分のスペシャリティはなんであろうかということがある。答えはまだない。出るかもわからん。日々、目の前のことに格闘して積み上げていく。それも立派な蓄積ではあると思う。

日々の眼前の事象に格闘することは粒ほども否定されるものではないが、それだけで良いのかという想いを持ち続けて2年。嗚呼、もう転職して2年であるのか。


自分は教授でもなければ講師でもない。かといって単なる事務局でもない。ファシリテーターという横文字職種。アヤシイ。アカウントプランナーくらいアヤシイ。アカウントプランナーには思い入れがあるから失礼だな。アカウントエグゼクティブにしておこう。これは真にアヤシイ。(広告業界の職種です)

いちおうは大学関連の職に就くものとして、アカデミックに根付いたスペシャリティというものを獲得せねばならないんではないか、というオブセッションはずっとある。今でもある。以前よりは脅迫的でなくなったけれど、ある。

で、答えはもちろんまだない。のであるが、こういった別に解がない問い、というか問いとすら言えない個人的な問題に対しては、表題のごとくウンウンうなって考えたところで、牛歩レベルでも進めればオッケーという感じがわいた。


そこで、昨日のブログではないが、先人のヒストリーで動機づけられようというわけである。他者はどのように歩んでいるか、それを参考指標にする。別に戦略的にではなく。インスパイアされれば良いという思いで。まねっこまねりんしたいモデルはないけど、かっこいい在り方ってのはあるよなと。そんなことを思う。

キャリアという言葉は20代ほどにはこだわらなくなった。仕事上の歩みという意味に限定された意味あいにおいては特に。人生、ライフ全般におけるキャリアということに重きを感じ始めた。生き様、という言葉が響くようになる。在り方とか、生命としての強度といいますか。出自が文学部なんでしょうがないですな。

雷鳴轟く東京都下にて、夏期休暇を消化しつつ思うことであった。排水口の洗浄に立ち会うために休みをとったけれど、まあまあいい休みになっているように思う。なにができているわけではないのだが。
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