しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

衝動買いでcharlie氏の新著を購入(そして全然脱線にっき)

いろいろ読むのがあって忙しいのに、購入してみたのでした。

ウェブ社会のゆくえ―<多孔化>した現実のなかで (NHKブックス No.1207)

ウェブ社会のゆくえ―<多孔化>した現実のなかで (NHKブックス No.1207)


feedly経由でのお伝えがあり。あまりちゃんとブログを読んでいませんが、なんかびっときたからつい。


ざざざざっと目を通したレベル、なのであるが、正直、どうも最近、ネット上の人間関係みたいなものを分析するということに興味が持てないことを実感した。面白いコンセプトがいっぱいあってさすが、と思う反面、自分自身のあまりの変わり様に呆然とするというか。


そりゃ、ネット社会を通じて得られた関係性とか、その中での社会資本というのは、概念としても実感としてもわかるのだけれど、浸かれば浸かるほどに、その関係性のなかで疎外感を感じていた記憶が蘇る。その恩恵を受けている、はてスタとかB!とかをもらっている我が身を否定することになるのかもですが。


繰り返し話されてきたことだと思うんだが、

  • ネットがあるからこそ築ける関係性

ってことと

  • ネットが現実の関係性を補完する

ってことが二分法的に語られてきた、ように思う。局所的観測と実感なので、厳密性ないですが。


個人的には、したにかいたほうの、現実との補完ってところに「自分の」道を感じる。ま、リア充路線と非リアのキワで生きるということなのかなとも思う。どっちかなんて言えないよ。さよならなんて云えないよ(オザケン)って感じかしら。


ロスジェネ論でいうと、ネットは俺らの場、そこの関係性が資本です、とかいうことで、象徴的なのがNHKの24時前のニュースとかなのかもしれませんが。なんだか、そういう「俺らの」感が、意外なことに苦手になってきたのでありました。むかしは「俺らの」に突破口?を見出していたのに。歳を取るということはそういうことなんでしょうがね。ただしく保守化する。全共闘ほどにではないけれど。それが正しい発達なのかもです。


最近あまり書いてなかったし、個人的な流行ピークはさったけど、*1視点としてはサードプレイスとしてのネットって感じだろうか。


リア、非リアもどうでもいいけど、たんに日常的な役割付与から逃避出来そうなオルタナティブな場があればそれで良いのだと、シンプルに思っている。まあそこでの役割付与もあるわけですがね。きっと、家庭が出来たらまた別の視点で家庭に積極的に役割を見出すと思うけど。


不満はないけど、なんか高揚する感じも減ってきてるし、なかなか難しい年代でありますわね。
三十路男の焦燥
今日のこの増田エントリなんか象徴かなと思いますしね。


脈絡なく書けば、参加≒学習→共同体構築ってことにヒントを見出そうとしていますけれど。
あとは、変容としてのオトナの学習≒広告との接続
とかもフカシて思ったりしてますが、メモ程度にて。



本については、書評でもないが、ちゃんと読んだら別の感想も出てきそうなので、こちらもゆるりと読んでみたいと思います。NHKブックスって値段も良心的なんだけど、どうも思い入れがないせいか、感情がドライブしないんだよなあ、なぜだろう。余談だけど、版元で気持ちがのったりどうのしたり、って意外とないですかねえ。俺あるんだよな。なぜかちくまとか河出に盛り上がるとか。ま、いいや。
http://instagram.com/p/dkEZt8rRHf/

*1:先日、いぬじん氏に、俺の飽きっぽさをマジ呆れられたのでありますが