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しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

『内田樹による内田樹』を読書開始

読書

読み始めた。第1章からするどい切れ味。これは楽しく読めそうだ。先輩が編集に関わったようだが、イントロを読むに、ほぼリライトだったようで大変ですなあ。お疲れ様であります。

内田樹による内田樹

内田樹による内田樹


むかしの自分は、そういうのって最初から書いてよ、とか思ったけど、それがないと「始まらない」のだよね。自分の経験でも、あるコピーライターさんのインタビュー書き起こしは、いつも真っ赤になって返ってきて、これってあんたがいったことそのまんまなのになんで赤いれんのよ?なめてんの?とおもったこともあった。でも、そうじゃないんだよね。責任を持つから、わざわざ著者が時間をとって、自分の言説として流通することに最後まで面倒を見ようとしている、ってことなんだと思えた。

最終成果物から逆算で考えると無駄というように思うかもしれないけど、それはまぎれもなく、関わった人の功績なんだと思っている。自己肯定もありますが。慣性の法則ではないけれど、動き出すことが出来ない人をけしかけたり、火をつける存在がいなければ、歴史は動かない。概して歴史を動かした当の本人が記憶されるのだけれど、その人物に関わるキーパーソンは必ずいるものだ。

イントロからそんなことを思った。いやいや、力作です。

関係ないけど思ったこと

第1章のホントの途中だけど、「100%正しいことを言う」人に対するアンチという内容で、ポストモダニストなどに代表される理想主義者を仮想的に書いて、「倫理的」ということを考えて書いた『ためらいの倫理学』であったという話がある。その100%の鋭さやチカラにアディクトしてしまう自称“知識人“が量産された時代があった。が、そういうのって良くない、という話にぐさっときた。学生時代はまさにそんな感じ。でもそういうものから解毒されるのに、10年は最低かかったかなという気がしている。脳みその世界を超えて、社会にコミットして、体験からアンラーニングすることが必要だったなあとふりかえる。

内容に関連しないが、思ったことは、こういう100%の正しさ、チカラに同一化したいという人はやっぱりいるということを思ったりした。いまの自分の場合で言うと、そういう試行錯誤で得た社会関係資本を、それ私にも頂戴よと厚顔で迫ってくるひとたちが思い浮かぶ。そういうの、あさましい。下品である。私も20代ではそういった関係資本の獲得行為をしたし、してきている。反省する点もある。そういうふうにしてきたから、何人もの人たちと交友関係はなくなった。

その反省というか、学習経験から、いま、自分が対人関係において意識しているのは、ほんとうにその人とつながり、そこから関係性を広げていきたいと思っているか、ということと、関係性を結ぼうと思ったら、私は何が差し出せるだろう、ということを考えるようにしている。差し出せなければ関係性を結びたい人にアプローチしない、ということではもちろんない。だけれども、関係性を本当に築きたいと思ったら、その時その時で最大限にプレゼン出来る事を考えるし、意を尽くしたいと思う。

そうやって、関係性のシステムが出来上がってくれば、好循環を生むようになると思う。システムと書いたけれど、それは意を巡る、きわめて心的要素の強いシステムであり、魂を預けなければ構築され得ないものである。

そんなことを思い始めながら読んでいる。良い本は、内容に関連がなくとも思考がめぐりはじめる。編者のO氏に最大の賛辞をおくりながら良い読書体験をしたい。
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追記

関連エントリ。テーマがお気に入りだが本家には出来ないねえ。
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