しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

文体と勢いと熱

登録しなおしてもサイドバーに出てこないぜこのグループのアイコンが。
感想をブログで書いてもらえると喜ぶグループ
仕様がわからない。でもそこまで調べようと思わないからつくづくインターネッツは自律精神の場だと思うわけだ。

さて、たまにはid:inujin氏の試みにのっかって書くのも一興と思い参加である。随所さん、って感じに書くと面白いが、ズイショさん、いやいや←ズイショ→さんのブログを読むとなんかこう、高揚感あるわけです。
自由に書くのは難しいなぁ - ←ズイショ→

←ズイショ→さんのあの好戦的なようなおいぬちゃんのアイコンをみただけで、いきおい盛り上がる感覚があるわけなんですが、21世紀の蓮實文体ともつかないその独特な個性がたまらないと思うわけなんです。私、蓮實重彦をきちんと読んだことありませんすみません。適当に言ってしまいました。映画を批評するという行為がついぞわからないままに印象批評をしまくって卒論も英文科なのに映画で書いてしまいました。ゆりもどしで批評なんて印象でしかないという時代に突入してああゆとり世代だったらもう少し自分発見ぼくを探しに〜シルヴァスタイン〜的なクソゆとりになれていたのかもしれません。ごめんなさい話は←ズイショ→さんのことであります。

でもねえ、←ズイショ→さんの←ヒレカツ弁当→うち中華料理屋ですよ!→のくだりに遭遇するとしたらこれ「持ってる」としか思えないですね。しかも食い気味ってそれすでに予定されていた場ではないのかとすら思えるこの予定調和的邂逅気味感がたまらないじゃないですか。

この事象を発見するのではなく、事象に出会ってしまう、もとい巻き起こしてしまうチカラは、強烈ダイアラーであるところのフミコフミオさんという天才に対抗出来うる強度がありますね。ぜひ、出来事にであってしまいつづけてほしいものだとファンとして思っております。

自由に書かなくていいと思うんですね。もうある事象は俺を経由して放たれるとどういう表現に変換されるのかということで、意識のフィルタを介さずに出来事ベースから経由して外化していただければそれだけでもうおりなすかたちだと思うわけなんですね。感性というのはコピーしがたいものであるので←ズイショ→フィルタをかまして発して頂ければといちファンとしてwktkしながら続編お待ちしております。

朝に書くとわけがわからない感じが増しますがけふはUDOアナとイノッチと寺門アナというNHKアイドルを見ながらこりこり書いております。
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