しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

人に興味があるのかプロ意識なのか

対人サービスにおいてナチュラルに恋して、じゃなくてナチュラルにボーンな神という人がたまにいる。接客のためにうまれてきたとか、人が好きでたまらないとかそういうひと。

こういう人はバランスどうとってんのかなとか思うけど、別に全てがオールオッケーというお人好しなんかいないのが人間で、まあいろいろあるんだろう。でもプロ意識では片付けられないなんか意識の領域を超えたものがあるとか思うわけだ。


今日、大戸屋にタダメシ食いに行く時にふと思ったのだった。本質的にじぶんは他者に興味がないのではないか、と。社会性は10年このかた働いてきたから結構身につけてきたほうだ。だけど、左手を使うようなもので、矯正してきたのかなと、中島義道さんの東洋経済の記事見て思った。あそこまで人嫌いじゃないけどさ。文学部にいるとよのなかをヒネて見るのが標準化されます。矯正に時間がかかった。その代償もあるのかしらん。


なんにせよ、じぶんを、そしていまを生きていないことには発するコンテントにはなんも強度は宿らない。外交や金融の華やかな?舞台でアホだったり難しいこと言っててもそこにエネルギーがあると思えるのはコンテントよりも存在として仮託し賭している度合いが強いからかななんて思う。肉食とか昔言われていたが、欲望する存在であるほど生きている感が強いなと。


ちょう当たり前なんだけど、たんにそんなことなんだろうと思った。平和主義者も、平和を希求する存在は、平和を欲望していなくては対抗軸たり得ないのかもしれない。

オチはないが、人好きな人も、他者を欲望しているのだろうと思った。メンヘラから自己啓発ビジネスからありがとう居酒屋まで。


久しぶりにスマホブログ。たまには早く帰宅なうである。