しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

諦め、認めることから始まるのかもしれない

最近、妙に冷めてきた。冷めることで醒めてきたような感覚がある。たまあにこういうことを言っていたような気もするんだが、いろいろ諦めた。諦めたことを認めると、意外とスッキリした感覚がある。無理に矯正してもしきれない芯みたいなものが人間にはあるのかもしれない。

無理に思っていたことは、例えば論理的であろうとすること。アカデミックな世界に片足を突っ込んでいることで理論に興味を持てるようにいろいろと書物を読み、話を聴いてきた。だが、たぶんアカデミックとは壁があるのだろうと自覚してきた。なぜシンプルに捉えれば、やれ、でいいことをくねっと複雑に捉えようとするのだろう、悪文にも読める読点がない日本語で説明するのだろう。そんな気が正直することも多い。理論に萌えないことには、ブレイクスルーもないだろう。だから、理論には本質的に興味が持ちきれないのではないかとやっと認めることが出来てきた。

まあこれは一例なんだが、入札じみていた物件の購入申請も流れたりして、最近は諦めることが最近多い。執着する力が弱まっているのか、めんどくさくなって流している自分がいる。そんで、それを以前なら淡白で上昇志向なり成長志向がないと自己嫌悪なときもあったが、それこそどうでもいい感性だとも思える。

今年は「one big thingにハマる」がテーマなので、そう考えると、どうでもいいことに無理に愛想を振りまきたくないのだ。どうでもいいは言い過ぎだとして、仕事などはプロとして関わることには関わるけど、仕事が人生の半分以上だかを締めるというあるひとつの見方を固定的に捉えるものとして、それに準じることはないだろうということだ。

そう考えると、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれというか、そこまででなくても、見えてくるものがある気がしている。たいていのことはどうでも良い。なにが重要かなんて主観でしかない。では敢えて、なににコミットするのか、このダルいけどなんとか高揚させるためにどうするか、は、まんまむかしの宮台センセのメンタリティのような気がしているが、そんな感じである。

問題はなにが俺にとってのbig thingかってことなんだけど、あまり決めきらないのが悩みではある。だいたい検討はつきつつあるが、それがカネモウケにつながらないような気がすると絞り切れないという感じもある。

なんでか、文学とか感性の世界とかには乖離してきてしまった。かといって、厳密に導き出された理論にも興味がもてない。もっと、フィジカルなものを欲している。有無をいわさずアフォードしてくるような空間とか、ハード面で知覚させるものに興味がある。PCエンジンの人生ゲームでは建築家が好きで選んだ職業だったが、図工が2だったこともありいつしかそういう興味自体を封印していたように思う。

スキル面はともかく、関心の幅はストレッチしていきたいものだと思うこの頃である。そのためには、飽きる力をよきものとして捉えて、節操無く試行錯誤を続けていければ夜のかもしれない。なんだそれって今までとカワンネー(゚⊿゚)って感じであった。
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