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しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

昔の臥薪嘗胆時代を懐かしむことなく振り返る

ことを急に思った。最近、仕事も落ち着いていて、悪くない。家庭ももって引越もして、外面的にはいい感じ。だが絶好調というわけでもなく、なんとなくもやっとしている。悪くはないが、釈然としないというか。いろいろ激動がずっと続いたので、忙中閑が落ち着かない感じである。

そういう時はその時間に浸りきったほうが良いと思うようにはなったが、一方で、甘んじて力抜きに慣れてしまうと力加減がわからなくなって、馬力が出なくなるような気がしている。

で、とうとつに昔を振り返ってみる。最近、昔の自分を知る知人と久しぶりにあったり、それにともなって前につくった私的キャリア史パワポを見返したりしていて、30過ぎまではほんとドリフトづくしだったんだなと振り返った。至高体験的な時もあったし、なかなか悪くない経験をしてきたと断言できるけど、いささか疲れる職歴や氷河期ロスジェネキャリア的な我が身を思うと、ようリカバー出来たものだなと振り返る。

新人だから通過儀礼的に苦労した、という以外の、周回遅れ的に始まった社会人だった。そのおかげで想像以上に飛躍してきたとは思うんだけど、リスクテイクしたからこそ大したことない自分がなんとかまともになって今がある、という感覚を忘れてはいけない。

とはいえ、人生観も体力も以前とは違うわけだから、同じようなハイリスクなかたちでリスクを負うのもふさわしくない。もう少し、じんわりとした感覚でいろいろやっていきたいものだと思う。

試論の私論だが、人は、なんらかのかたちで死ぬまで「成長」が必要なのではないかと思う。成長経済は終わった、成熟社会を生きる知恵を、というのは大筋合意なんだが、かといって、自分がおもしれえ、と思う感情とか、悔しい気持ちとか、新しい世界にひらかれる感覚(≒成長)を否定して、クールよろしくスカしているその人の実存に惹かれるかというとそうでもない。

まだまだ理解できないが、上世代からの世代継承性ってものも、成長の流れに位置づけられるような気もする。別にライフが枯れていくわけではなく、教えることで自分もまだまだ新しい感覚ということに気づけるのだろう。ご一緒している70代以上の方も、そういう感じだから、きっとそうなんだと信じられる。

とりとめないけど、やっぱり、「今、ここ」を生きる感覚をもっていたい。才能とか、レベルが上か下かとかそういうのは30過ぎてくると諦めもあって、あまり以前のように気にならなくなってきた。GW期間をうまく活かして、なにか行動を始めていきたい。
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