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しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

国会図書館という不思議

時間が出来たので、仕事のあいまで何年かぶりに国会図書館へ行った。特に用はない。近くにきて、どんなところだったっけ、と思ったので行ったまで。10年以上前に興味本位で行ったきりではないだろうか。バーコード式のカードはすでに期限切れであり、交換した。IC埋め込みっぽいカードになっていた。

霞ヶ関とか永田町界隈は、建物にも、中に入っている売店にも昭和のかほりがあり、懐かしい気分になる。俺、大学時代、この界隈を新聞社バイトで来ていたこともあり、なおさら懐かしい。いすとか、タイルとかいい味が出ている。年季が入っている。隣接している新館は、新館っていっても新しくないレベルである。国家の歴史とでもいえばかっこよかろう。

建物には当然のようにかばんは持ち込み出来ないので、透明のビニール袋に入れて持ち運ぶわけだが、そんな人間たちがそろうとなんだかカオスである。わけもなく、収監された囚人のような気分になるのである。特に閲覧したい本など、目的があったわけではないので、財布ひとつを持参した程度であったが、目を凝らすと、透明ビニールのなかにわけのわからないグッズが入っている人もおり、なんというか、銭湯フリークのようなもので、国会図書館フリークがいるのだろうとわかる。ここにはここの流儀があり、それを熟知している人もいるというわけだ。

8月のお盆休み前のシーズンという時期であるが、夕刻17時ごろ、想像以上に人が多かった。果たして彼ら彼女らは何をしに来てるのか。自習する場でもないし。私はそれをすこし期待して行ったのだが、そういう箇所もない。やれなくもないが、向かないスペースであった。絶版本をたんねんに読み込んでいる老紳士などが少数はいたが、フリーターぽい人がマンガ?を読んでいたり、主婦のような人もいたり、なかなか興味深い風景を垣間見た。フィールドワークに適した場所でもありそうだ。

なんといっても国会図書館という場所であるし、静かで、腕章した監視員ぽい人が巡回していて、あまり人間性ということを感じない場所ではあったが、(受付の人は愛想よかったけど)「知」に対して、国家として真摯にストックしていると思うと、ああ、そういう世界もあるのだな、ルールの力で守られていくものもあるのだなと感じるものがあった。「真理がわれらを自由にする」…なるほどね、と。
真理がわれらを自由にする|国立国会図書館―National Diet Library