しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

リーダーシップの源泉とは、「仕事」そのものになどないのかもしれない

いろいろあって、いまは教育の仕事をしているわけだが、平たく言うと、オトナが自分ってイケてるかも、って自信もって前向きに生きてもらうことを支援する仕事になる。(あるいはイケてないとしても、そんな俺だけどでも…!とかって前向きでなくてもエネルギー出して生きてもらうともいえるかもしれない。)なんにせよ、なんか社員が職場まわりから惹かれる生き方で周囲を巻き込んでもらうためのお手伝いである。なぐられそうな仕事の定義であるな。

最近、ブログを書くと、ビジネス本うんこ、という内容が多かったように思う。そんでそれを読んでなんか安心とか強くなった感してる俺うんこ、という二乗うんこの世界がずっと続いているように感じている。

その理由は、おそらく「仕事」で勝とうとか認められたいという自分勝手な欲望が強いからではないかということと感じている。いろんな仕事をしてきて、それなりに歳をとって、目前にブレークイーブンポイントが控えているという感覚が強まっている。いや、鈍いだけでそのポイントはすでに通りすぎているのかもしれない。ホントに。

つまり、決断の時は近い。あるいは、適切なタイミングが過ぎ去ったとしても、決断することがこの先の人生において必要なのだと感じている。それは、覚悟を定めると言い換えても良いかもしれない。なんの覚悟か?ありていにいえば、仕事とか働き方の落とし所を定めること。あまり諦めたくはないので、天井とか基準はもうけなくとも、「スタイルを定めること」という解釈である。いまは。


で、タイトルのリーダーシップうんぬんのことでいえば、仕事で発揮するリーダーシップということを考えるのに、仕事にばかりフォーカスして考えてみても、限界があるのではないか、小さくまとまるのではないかということだった。禅問答のようであるが、仕事におけるリーダーシップを仕事とか職場というなかの固定化された役割でとらえるのでなく、全人的に捉える必要があるのではないかということだ。

これは、職場では不可能とかいうわけでないとは思うし、リーバイスに勤めていた時代の増田さんはそういう職場であったことを記していた。

リーダーは自然体 無理せず、飾らず、ありのまま (光文社新書)

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さて、ワンパターンであるが、このイケてないビジネス執着のループからぬけそうなきっかけはやはり宮台センセからもたらされた。久しぶりに講演にいって、先生のいつもの話を聴いただけで、原点を思い出すきっかけになった。

私が力をもらって、自分の軸らしきものを感じて、高揚するスイッチとなるのはやはり大学時代に芯からハマった宮台マインドなのである。コンテンツが多少、時代によって変化すれど、通底するマインドへの感化は変わらないようだ。

最新刊を今日も風呂場で読んでいて、いつのまにか半分くらい読み終わっていた次第。対談モノの本を大学の一時期アホのように読みあさっていたが、その原点を感じるようでもあった。今日読んだキーは、自分Aをメタに見る自分Bのこととか、利己的なまでの利己的にふりきって世界へと開かれることとか、そういうことだった。まとめるつもりもないが勢いで記しておく。

今日の気づきは大切なものなのでパッケージしておきたい。少なくとも、新鮮な気づきとは違い、忘れていたものを取り戻せそうな予感、と感じている。そして、オッサンになればなるほど、そういうことのほうが大事なのではないだろうかとも感じている。

ちょっと、もともとの人生観とか目的にしたいものを取り戻せて来ているようなタイミングなので、もっとしっかりホールドしたい。
せっかくなので、二年前に原点を感じた時のこともログっておこう。
青学宮台講義の終盤を迎えて所感 - 体系立たない学びの場〜My sweet Andragogy〜(・o・)

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*1:あと、おまけであるが、冷静な社会認識に基づきつつも、身近な問題に自分の言葉を使った思考で迫っていくということが宮台先生に惹かれる理由だとおもった。ゆうても厨二だもんなあ先生。90年代には気づききらなかったけど、道化、なんだよ実はと。