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しらべない

<芸術は長く、人生は短い(Ars Longa, vita brevis)>

retreat

リトリートを一時的な撤退とか退却って意味と捉えているが、どうも最近ではヨガとか霊的ヒーリングな感じで用いられているようだ。
企業のでいえば合宿。内省して普段の行動をメタ的にふりかえるのに有効な場。IT企業でよくやる開発合宿よりはもっと心的な面にフォーカスしたものがリトリートって感じ。
個人のことでいえば、土日のリフレッシュで終えきらない感情のゆれは理想では四半期くらいに一回、リトリートで見つめ直したいものだ。サラリーマンでいうと年2回がせいぜいなので、四半期はたんに理想だが。家庭持つとそうもいえない感じだし。まだいいけど。

ちょっと飛躍するが、先日書いたどうなりたいのだ、の質問の先にある深層心理として。おそらくは、どうなりたいということについて、大抵のひとはなんらか理想があるのではと思う。濃淡の差はあれど理想とする像はゼロではないのではと。
ただ、現実とのマッチとか、会社人生の先とのマッチとか、いまとのマッチング思想で考えるからうまくハマらないのかなとも思う。そういうのとっぱらって、人生全体としてどうか、と考えるとぼんやりとある。
こういったリトリートの機会をつくって、じっくりと思いふけることは有効かと思う。ま、みんな死ぬときはひとりだし、ひとりの状況となったらどうだ、という思考実験にはなる。
すぐには現実の延長線上には理想像がなくても、ハンドルを切ることをしないと理想には向かっていかない。もちろん到達地点に届く推進力足りなければブーストしなくてはならない。
とはいえ、全ては一歩の歩みから。登山でもマラソンでも比喩はなんでもいいけど、今の位置とぼんやりとした理想を測る機会を意識してつくりたいものだ。
と、そんなretreatなうのGW。

建築家の小屋:プライベート・リトリート

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見てわかる、断捨離 ココロとカラダ編 (マガジンハウスムック)

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